どちらが美しいか|職場の教養
どちらが美しいか
ある教育者が、若者から「今働いている会社を辞めるべきかどうか迷っている」という相談を受けました。
その教育者は、「どちらが人として美しく立派かを基準に考えてごらんなさい」と答えました。
このエピソードを知ったAさんは、今まで美しさを判断基準にすることなど、まったく考えたことがなかったので驚きました。
〈これは素晴らしい判断基準だ〉と感じたAさんは、それ以来、判断に迷うときは〈どちらが人として美しいだろうか〉と考えるようになりました。
そう考えるようになって、Aさんが気づいたのは、たいていのことはそれほど判断に迷わないということです。
しかし、〈自分だけが大変な思いをしたくない、損をしたくない〉という心が生じた場合には迷いがちだと感じました。
それでも、人としてどちらが美しいか〉と考えると、以前より迷うことがなくなり、行動に移せるようになりました。
以降、Aさんは物事に取り組む際には、「どちらが美しいか」を判断基準の一つにしています。今日の心がけ◆自己の判断基準を持ちましょう
職場の教養 2025年1月号
感想例①
人生の岐路に立ったとき、「美しさ」という視点で判断するというのは、とても新鮮で心に響きました。
私たちは普段、損得や効率性で物事を判断しがちですが、それよりも崇高な基準があることを教えられた気がします。
特に印象的だったのは、「自分だけが損をしたくない」という気持ちが生じたときにこそ、この判断基準が効果を発揮するという点です。
実は私も先日、仕事で悩む場面があったのですが、この「美しさ」という物差しを当てはめると、不思議とすっきりと答えが見えてきそうです。
シンプルでありながら、人としての品格や誠実さを大切にするこの考え方は、現代社会にこそ必要なのではないでしょうか。
感想例②
「美しさ」という基準は確かに素晴らしいですが、現実の厳しい状況では通用しないケースも多いのではないでしょうか。
例えば、家族を養うために我慢して働き続けることと、自分の夢を追いかけることのどちらが「美しい」のか、簡単には判断できません。
また、この判断基準は個人の価値観に大きく依存するため、人によって「美しい」の定義が異なってしまう危険性があります。
そもそも、美しさを重視するあまり、現実的な考慮を疎かにしてしまっては本末転倒かもしれません。
理想論に走りすぎず、現実とのバランスをどう取るかという視点も必要だと感じました。
感想例③
「美しさ」という言葉を聞いて、なぜか私は夕暮れ時の富士山を思い浮かべました。
自然の美しさは誰の目にも明らかですが、人としての美しさは、まるでゆっくりと咲く花のように、時間をかけて育むものなのかもしれません。
この話は、禅問答のような深い味わいがあって、まるで昔の武士道精神を現代に蘇らせたような感覚すら覚えます。
実は、コンビニの店員さんが困っているお年寄りに優しく接している姿も、一つの「美しさ」なのだと気づかされました。
日常の中にある「美しさ」を見つける習慣が、きっと人生をより豊かにしてくれるのではないでしょうか。